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教育費について [子どもをめぐるあれこれ]

昨年あたりからだろうか、子供の貧困についての議論をよく目にするようになった。子供が貧困に苦しんでいるという事態は、日本という国がじわじわと貧しくなりつつあることや、そうした実態に対応できない社会制度の欠陥を、あからさまに見せつけているように思える。経済力が理由で学校に行けない子供がいるような国を、日本は目指してきたわけではないはずだ。


先日も、NHKでこれをテーマにした番組を見た。食事をまともにとっていない小学生。授業料滞納で高校中退を余儀なくされる高校生。番組の中で気になったのは、授業料以外にかかる費用のことだ。たとえば小学校で、3千円の書道セットの費用が払えない、という話が出てくる。高校は授業料以外に教科書代、PTA会費、その他修学旅行費などが高いという。私はそれを聞いて、まったく大変だよねえ、とうなずく気持ちにはなれない。


小学生一人ひとりに書道セットを持たせる必要があるのだろうか。学校に、生徒数に合わせて硯と筆を買って置いておけば済むことではないだろうか。買いたい人だけは自分で買えばよい。例の“悪平等主義”が好きなら、全員貸出制にすればよい。我が家でも息子が1年生になって、立派な絵の具セットや鍵盤ハーモニカを買った。学校指定の品々だ。絵具も筆も、学校でみんなで使えば教育費の個人負担はずっと軽くなる。私に言わせれば、生徒全員に6千円の鍵盤ハーモニカを買わせるなど言語道断だ。なぜ学校に配備しないのか。買わせるのは衛生上の配慮からしても、マウスピースだけで十分ではないか。この前テレビである一流のジャズピアニストが、自分は小学校の何年生だったかまで、家では紙に書いた鍵盤でピアノの練習をしていた、と言っていた。音楽家になる人でも紙の鍵盤だ。義務教育はそんなスタイルでも良いのではないか。


高校についていえば、もう高等教育なのだからPTAの活動は不要ではないか。どうせ活動費のかなりの部分が、ほとんど読みもしない「広報誌」の印刷代に決まっている。修学旅行はそもそも勉学に必要なのか?「集団生活」を学ぶのは中学までで十分ではないか。教科書だって貸出制をとればよい。私が15歳のころ、当時の西ドイツのギムナジウムに通った時には、教科書は借りることが出来た。私も数学や科学系の教科書は学校から借りて、カバーをかけて使っていた覚えがある。


もう日本は今までのように豊かではないのだ、貧困に苦しむ家庭がふえているのだ、ということを前提に、教育予算も効率的に使い、少しでも家庭の負担を減らす努力をすべきではないか。教科書も鍵盤ハーモニカも、あるいはランドセルも、みな利権の巣窟に違いない。公共事業のようなスケールはないかもしれないが、こんなおいしい商売があるだろうか?そしてその裏側には貧困で苦しむ家庭だ。どこかおかしい。


もうひとつ気になったのは、高校の実例に出てきた女子生徒。看護師になりたいのだが、看護学校へ行くお金がないので無理かもしれないと言っていた。この国では看護師は足りなくて困っていたのではなかったか?高校の授業料無料化もすぐれた政策だと思うけれど、専門学校についても教育内容によっては無料化するのが正しいと思う。昔の傾斜生産方式を教育投資に応用するわけだ。介護要員も然り。自腹で教育を受けて資格を取って給与水準が低いとくれば、なり手がいなくて当然だ。


経済的に苦しむ学童・生徒の話を聞くにつけ、学校に電子黒板だの炊飯器だのを買う予算をつけようと言いだした政治家たちの、なんとおめでたいこと。そんな暇とお金があったら、硯や筆や楽器を買うなり、図書室の本を買うなり、給食費をすべてただにするなり、学校事務員をもっと雇うなり、教員の給与を上げるなり……。それなのになぜ電子黒板などという発想になるのだろうか。もう少し真面目に考えて物を言ってほしいものだ

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コメント 1

thick-beard

教科書レンタルとはいいアイデアですね。
5年に1回くらい新品にすれば予算を減らせそう。


by thick-beard (2009-10-08 06:15) 

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